丁字路の日記

二十歳になった記念ではじめた日記です

七日目 思い出フィルターについて

2021年5月22日です。今は夜の0時41分です。

丁字路といいます。1週間お疲れ様でした

今日は思い出フィルターについて書きます。一般的に、「自分が子供の頃や、若かった頃のことを思い起こすと、当時の記憶や思い出が蘇ってどうしてもフィルター越しに見てしまう(大抵は実物よりプラスに感じられる)」という意味で使われることが多いと思います。自分もよくあるなぁと思うし、別に思い出フィルター自体が良いとか悪いとかは思ってません。

ただ、なんでも「今となってはいい思い出だよねー」とまとめるとはどうにも好きになれなくて。

確かに過去にはなにかの出来事に対して「キツイな」とか「嫌だな」とか思っていた自分がいたはずなのに、現在時点の自分がその時のことを「いい思い出だった」とすることで、当時の自分を裏切って過去を改変してる感覚があるんですよ。自分は記憶力がいい方だからか、幼稚園くらいまでのことは覚えていて、嫌な思いをした記憶もショックだった体験も忘れることが出来ずに残っています。それを「今思えばよかった」とは言いたくないなっていうか。だって嫌だと感じてたわけですからね、その時点では。「当時は嫌だったけど、今考えたら糧になっていた感覚はあって、だからよかったのかも」という話なら違和感はないんですが、当時の感覚と過去を振り返る現在の視点とを一緒にしちゃうのは避けたいのです

それと似た内容ではありますが、子ども特有の悩み...例えば自分の持ち物だけ同級生と少し違うとか、みんなが観ているテレビ番組を自分だけ観ていないから話が合わないかもしれないとか、そういった不安に対する大人の「大きくなったらなんでそんなことで悩んでたの?ってなるよ〜」っていうのもあんまりしっくりこない。そりゃあ確かに大人から見れば小さな悩みだし、そんなに気にしなくていいよという意味を込めてるのでしょうが、子どもの世界では学校や、周りと同じか違うかはとても大きな問題事のはずです。自分は小学生の時そんなことを言われて「だってまだ大人じゃないのに。今悩んでるのになぁ」と思っていました。

だから自分は、幼稚園のお泊まり会で「いただきます」前に食べ始めてしまったことを同じ組の子に指摘され、とがめられたと思って泣いたことも、小学2年生の時スキンシップの力が強めの子にたたかれたのが実は痛くて嫌だったことも、小学4年生の時自ら立候補して始めたものの皆が帰る時間になっても仕事があった代表委員会にとても後悔していたことも、全部「いい思い出」ではなく苦みやしょっぱさ、すっぱさを当時のまま保管しておこうと思うのです

さて、今日はかなり書いた気がします。明日は予定があるし朝の猫の世話当番になっていたので眠ります。長々とした持論語りでした。ではお達者で

〇好きなもの ビー玉入のラムネ玉

〇そうでもないもの 雨に濡れたコンクリートの臭い